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交響曲第1番 (マーラー) : ミニ英和和英辞書
交響曲第1番 (マーラー)[こうきょうきょくだい1ばん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

交響 : [こうきょう]
 (n,vs) reverberation
交響曲 : [こうきょうきょく]
 【名詞】 1. symphony 
: [ひびき]
  1. (io) (n) echo 2. sound 3. reverberation 4. noise 
: [きょく, くせ]
 【名詞】 1. a habit (often a bad habit, i.e. vice) 2. peculiarity
: [だい]
 (n,pref) ordinal
: [ばん]
 【名詞】 1. (1) watch 2. guard 3. lookout 4. (2) bout, match (sumo) 5. (3) (one's) turn
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

交響曲第1番 (マーラー) : ウィキペディア日本語版
交響曲第1番 (マーラー)[こうきょうきょくだい1ばん]

交響曲第1番ニ長調巨人」 (Symphonie Nr. 1 D-dur "Der Titan") は、グスタフ・マーラーが作曲した最初の交響曲
マーラーの交響曲のなかでは、演奏時間が比較的短いこと、声楽を伴わないこと、曲想が若々しく親しみやすいことなどから、演奏機会や録音がもっとも多い。
1884年から1888年にかけて作曲されたが、初め「交響詩」として構想され、交響曲となったのは1896年の改訂による。「巨人」という標題は1893年「交響詩」の上演に際して付けられ、後に削除されたものである。この標題は、マーラーの愛読書であったジャン・パウルの小説『巨人』(''Titan'')に由来する。この曲の作曲中に歌曲集『さすらう若者の歌』(1885年完成)が生み出されており、同歌曲集の第2曲と第4曲の旋律が交響曲の主題に直接用いられているなど、両者は精神的にも音楽的にも密接な関係がある。演奏時間約55分(繰り返しを含む)。
== 作曲の経緯 ==

*マーラーは1883年にオルミュッツの市立劇場指揮者からカッセル宮廷歌劇場の第2指揮者に転出し、翌1884年にこの曲のスケッチにとりかかった。その以前の1882年にもマーラーは交響曲を構想したことがあったが、これは破棄している。
*カッセルへの赴任は自ら望んだものだったが、マーラーが演奏したいと思っていたワーグナーなどの演目は制限され、首席指揮者のヴィルヘルム・トライバーとも衝突するなど、不満を募らせた。1884年にマーラーは、ワーグナー作品を指揮して名声を馳せたハンス・フォン・ビューローに弟子入りを志願し、ビューローに当てた手紙に自分の現状の不満も綴った。ところがビューローは、弟子入りを認めないだけでなく、マーラーの手紙をトライバーに渡したため、両者の不和は決定的となった。また、マーラーはこのころソプラノ歌手ヨハンナ・リヒターに恋愛感情を抱いたものの、失恋に終わっており、1885年に完成した『さすらう若人の歌』には、当時のマーラーの心情が反映されている。
*1885年8月にマーラーは、プラハのドイツ劇場第2指揮者となり、翌1886年8月にはアルトゥール・ニキシュのもとでライプツィヒ市立歌劇場の第2指揮者に就任した。ライプツィヒでは、ウェーバーの未完のオペラ『三人のピント』の補完依頼を受けて1887年にこれを完成。これが縁となって、翌1888年にはウェーバーの孫の夫人マリオン・ウェーバーと恋仲となる。また、このオペラの上演を機会にリヒャルト・シュトラウスと初めて出会う。詩歌集『子供の不思議な角笛』にも出会い、1888年から作曲を始める。 しかし、ここでもニキシュをはじめとした人間関係が次第に悪化、自身の健康状態も芳しくなく、5月にはライプツィヒを去り、ミュンヘンで手術を受ける。
*1888年10月、マーラーはブダペスト王立歌劇場の音楽監督の座につき、ようやく第2指揮者の地位から脱することに成功した。ブダペストでは、『ラインの黄金』、『ワルキューレ』などのワーグナー作品をカットなしでハンガリー初演し、モーツァルト作品などの上演でも評価を高めた。1890年の『ドン・ジョヴァンニ』では、これを聴いたブラームスを感激させ、「理想的な『ドン・ジョヴァンニ』を聴きたければ、ブダペストに行くべき」とまで言わせている。
*こうしたもとで、曲は、ライプツィヒを去る前の1888年3月に書き上げられ、同年ブダペストに移った翌月の11月にオーケストレーションが完成した。マーラーはこの年の6月には後の交響曲第2番となる『葬礼』にもすでに着手していた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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